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皆さま
こちらのページを読んで頂きありがとうございます。

はじまり

はじまりはおよそ5年ほど前になります。

当時の私は40歳頃でした。年齢的なこともあり「家族を作っていくこと、これからのこと、老後のこと」について考えていました。

思考を巡らせていく中で、”ふるさと”が私にはないことに気づきました。

象徴的なものとして、お墓がありませんでした。

私の両親は離婚しており、母方に引き取られ母子家庭で育ちました。母の両親も離婚し母子家庭でしたので、

「家」というものがそもそもなかったのです。母方も父方も事情があり、親族・親戚とも疎遠になっていました。

合わせて自分には心臓にちょっとした病を患っておりましたので、

もし先に自分が亡くなったときに、残された人は、どうする。

残された人が、よりどころとなる場所を作っておきたいと思いました。

現在、離婚は特別なことではなく、ずっと増えています。これまで自分と同じ思いをした人がたくさんいたのかもしれないし、これから増えるのかも知れない。であれば、「ふるさとを作る」この取組みには別の意味も含んでいるなと思いました。

ここから「ふるさと探し」がはじまりました。

ふるさと探し

私は、会う人会う人に「ふるさとはどちらですか?どんなふるさとですか?」と聞いて回り、

地域が開催している移住セミナーなどにも参加しました。

合わせて、各種健康保険協会などにある保養施設があれば、巡ったりして、実際にその土地に触れていきました。​

そして、縁がつながり2018年山梨県富士吉田市にコワーキングスペースを立ち上げるプロジェクトに参加することになり、

山梨と東京の多拠点生活がはじまりました。

​この多拠点については別コラムに記載していきます。

はじめは、月の半分が山梨、もう半分が東京という生活でしたが、

約半年後には、1週間だけ東京で、あとはずっと富士吉田にいる生活となっていました。

富士吉田は標高が808mあり、陽ざしは暖かく、風は涼しく、空気が澄んでいます。

人が密集しているわけではないのでネット通信も快適、観光地としてお店もある程度近接していて、数もある。

気候の影響なのか、持病となっていた片頭痛もやわらぎ、身体が軽くなっていくのがわかりました。

富士吉田での生活が始まった際に、コワーキングスペース近所のうどん屋さんとレストランで毎日のように食事をとっていました。

そこで、よく”おすそわけ”をいただいたのです。ちく天やクッキーなど本当にいろいろと。

実は、今回の店舗名の由来の一つです。

すごくうれしかった。お店の人からしたら「いつも来てくれて」ということなんですけど、

当の私は、「この土地をふるさとにできるかな、そもそも受け入れてもらえるのかな。」などと思っていたので、

すごく受け入れてもらったような気がして嬉しかったのです。

​思い違い

富士吉田市は人口が5万人を切っており減少が止まらない状態と聞いていました。

そんな情報と世間をにぎわせていた過疎化・高齢化といった情報から

富士吉田に対して勝手な先入観を抱いていました。

しかし、半年ほど暮らしてみると、自分が大きな思い違いをしていることに気が付きました。

その”違い”を感じたことで、より富士吉田に密着したい、富士吉田に根を張れないだろうかと考えました。

そして、その”違い”はきっと日本全国の地域にも同じようなことがあるんだろうなと思いました。

​この”違い”についてはまた別コラムに記載していきます。

店舗を構えることになったきっかけ

コワーキングスペースのお手伝いも2年経ち、地元の方にバトンを渡すことにして、

さて、これからどうしたものかと考えていました。

そんな時、コロナがあり、市内の飲食店からは人がいなくなりました。

私は、何かにつけ外食するようにしました。もちろんコロナに気を付けて。

しかし、規制がかかり、周辺のお店の灯りが消え、実際に閉店する店舗もありました。

これは都内も同じでしたが、自分が実感したインパクトは富士吉田の方が大きかったです。

店舗一つ消えるとその辺一帯が真っ暗になるのですから。

消費するだけではなく、なにか”商売を共にしなければ”とても追いつかないと思いました。

その中でいろいろなビジネスモデルを探り、出会いもあり、実店舗を構えることになりました。

​この詳細もまた別コラムに記載していきます。

最後に

”商売を共にしなければ”この思いから多目的な雑貨屋という業態にしました。

​競合他社ではなく共存他社という思いで、この店舗を運営していってみます。

店舗の細かなことは別コラムにて記載していきます。

まずは、1年やってみる中で、またご報告いたします。

もし皆様からの応援をいただければとても嬉しいです。

 

​渡辺 直樹

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